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朗読企画「こんな夢を見た。」2020 short short story 受賞作品

by ツカノマレーベル

夏目漱石『夢十夜』より

朗読企画「こんな夢を見た。」2020

第2回 short short story「こんな夢を見た。」公募企画は、2019年9月9日より作品の募集を開始し、同年12月9日に締め切りました。たくさんのご応募ありがとうございました。

▪︎ 応募総数 314篇

▫︎ 第1次選考通過作品 108篇

▫︎ 第2次選考通過作品 30篇

▫︎ 最終選考通過作品 10篇

2020年2月9日(日)福岡市美術館にて、受賞作品10篇の朗読公演を開催します。

朗読公演の詳細はこちら→ 朗読企画「こんな夢を見た。」2020

short short story

「こんな夢を見た。」2020 二次選考結果

応募総数314篇より、二次選考にて30篇を選出しました。応募受付順に書き出し文とペンネームを掲載します。

short short story

「こんな夢を見た。」2020 最終選考結果

最終選考通過作品10篇を応募受付順に掲載しております。どうぞごゆっくりお楽しみください。

こんな夢を見た。

血管の浮き出たシワシワの足と白くて平らな足。

小さく丸まったふたつの体が向かい合ってしめ縄づくり。

冷たい床にゴザを敷いて、外から入るおひさまが温かい。

シワシワな祖父と白い肌の私。

年齢も見た目も違うけど目線は同じ。

じいちゃんの顔は写真でしか知らない。

ママが言うには身長の大きい人だと言っていた。

だから、私の目の前にいる人は、小さいからじいちゃんじゃないのかも。

目の前にいるおじいちゃんはシュー、シューと手際よく藁を編む。

藁が編まれていくたびに余った部分が腰をひねるからさらさらと音が鳴る。

んふふ。くすぐったい。

幼いわたしの手は止まり、おじいちゃんの手さばき眺めていた。

ふと、おじいちゃんが手を止めて、わたしを見た。

顔をあげるだけのしぐさがやけにスローモーションに見えた。

あ、じいちゃんだ。

ビー玉のような茶色の目はおひさまにあたって透き通っていた。

ママとおんなじ目をしていた。

なーんだ、やっぱりじいちゃんか。

映像が終わって目を開ける。

私は今目を閉じていた。目を開けてから気が付いた。

鼻からフ―と重たい空気が漏れた。

夢なのか、妄想なのか。

たった一瞬を見てしまった。

とんでもなくあたたかくて心地いい。

じいちゃんとの一瞬を望んでいた私がいたことに気が付いた。

夕方五時、もうすぐ母が帰ってくる。

洗濯物を取り込もう、お風呂も洗わなきゃいけない。

ゆっくりでいい。ごはんを食べたらじいちゃんのことを聞こう。

まだまだ知りたいことがある。まだまだ聞きたいことがある。

夕方のぬるく溶けた気持ちに目を伏せて、重い腰をあげた。

まな

こんな夢を見た。

一面藍色の海の前に男が一人佇んでいる。傍らには大きな蛤の貝殻が男の膝元あたりで口をぱかぱかと動かしながら、何やら男に話しかけている。

「おい、あいつはまだこの近くにいるはずだ。探せ、早くしないと手遅れになるぞ」

男の頭の上には大きなバケツが乗せられていた。蛤に話しかけられても黙ったままの男の姿はひどく不気味で、投げられた声に細く伸びた背筋が少しだけ曲がって、身体ごと頷いたように見えた。男は、ふらふらと覚束ない足取りで海の方へ近寄っていき、そしてジーパン姿のまま、裾が濡れるのも構わずに寒そうな海の中へ入っていった。どういうわけか、水にぬれて波が揺れるたび、男は足元からずんずん下へ潜っていってしまう。

「違う、違う、そっちじゃないだろ」

手も足もない蛤は、そういいながら全身でざぶざぶと海へ入り、腿のあたりまで溶けて消えてしまった男の上半身を器用に頭の上に乗せて、浜辺まで戻ってきた。どさり、と上半身と腕だけになったバケツの男を波の届かない場所に落として、ため息をつく。一たび溶け出した男の体はそのまま海全体へと広がり、水平線を美しいエメラルドに染め上げた。

「ほら、言わんこっちゃない。これじゃあ、お前が消えちまうのも、時間の問題だ」

染まった海を見ながら、蛤は男にそう忠告した。どうやら男の体には、海の色も変えてしまうような不思議な秘密があるらしく、蛤はそれを守っているようだった。

小高い丘の上でそれを眺めていた私は、あの男と蛤何を捜しているのか、また、どういった存在なのか、気になり始めた。きっと隠された男の顔に何か秘密があるに違いない。男の頭にあるバケツを取ってみたい、と思うようになり、蛤に気づかれないよう呼吸を殺しながら、彼らの背後にゆっくりと近づいた。そして蛤が改めて海の方を見た瞬間に、今だ、と男の頭の上にあったバケツを取り去り、その中にあるはずの彼の頭を覗き見た。

男には首から先がなかった。

私が取り払ったあのバケツをどうやって支えていたのか、それすらわからないくらいに空っぽの空間が、男の首の先から無言を私に訴えている。私は何か取り返しのつかないようなことをしてしまったような気がして、男を守っていた蛤の方に許しを求めた。しかし、蛤はもはや人の言葉を発することもなく、もうその中身も二度とは見られないであろうと思われるほど、一寸の隙もなく貝殻を固く閉ざしてしまっていた。

私が獲得したバケツの底からは、キラキラと輝く星の砂が湧き出てきていた。一瞬のうち、砂は私の体を伝って胸や首筋の裏を這いまわり、耳や目の隙間から私の体の中に入り込んで、内側からその存在を主張するように、チクチクと血管に引っ付いていった。私の体を制した砂たちはたちまち、指先や髪の毛、爪の先の一つ一つまで行き渡ると、体の水分をすべて飲みつくしてしまうようにがっちりと結び付き、やがて砂浜の上で凝固した。海から一際大きな波がやってくる。私が声を上げるよりも早く、ざぶん、と大きな水の音がしたかと思うと、凝固した砂たちは一斉に水の中に散り散りになった。そうして私は、先ほど男が溶けていった緑の海の中へと連れて行かれた。

浜辺には物言わぬ固い蛤だけが残った。

岩尾葵

こんな夢を見た。

いつもの穏やかな夕暮れ。

朱色が街中を包むころ。

夕焼けが僕の背中をそっと叩いたんだ。

「ご帰宅のところすみません。私の話を聞いてもらえませんでしょうか。実は・・・朝焼けに一目でいいからお会いしたいのです」

夕焼けの口調は優しいが、真剣なまなざしが僕に覆いかぶさってくる。

「朝焼けにお会いしたいと…」

「はい、一目惚れです」

夕暮れの空は、朱色と照れた橙色、そして情熱の金色が交じり実に美しい。

「恋をなさったのですね。一目惚れとはなんて素敵な・・・」

そう言ってから、ふと気づいた。

「一目惚れとおっしゃいますが、お会いしたことはあるのでしょうか」

夕焼けは僕の手を握りながら続けた。

「すみません。正しく申しますと、『一耳惚れ』です。僕が眠っているといつも歌が聞こえるのです。優しくふうわり丸い歌。世界が光に包まれ幸せが生まれる歌。僕はその歌を聴くといつも穏やかな気持ちになって、さらにまた深い眠りにつくのです。僕の初恋です」

僕は夕焼けの手をしっかりと握り返し力強く言った。

「素晴らしい。一緒に探しましょう。きっとお会いできますよ」

ただ、僕は分かっていたんだ。分かっていたけど言えなかった。

夕焼けと朝焼けが同時にこの世界に存在するなんて・・・。地球がひっくり返っても・・・あり得ないでしょう・・・。

夕焼けの悲しむ姿を見たくない、ただそれだけの思いで僕は夕焼けと共に、朝焼けを探しに歩いた。

夜の公園に行けば、合奏の猛練習中の虫たちに「ジャマ」と言われた。

夜の駅に行けば、年配も若者も実に忙しそうに歩くので話しかけることができない。

夜の森に行けば、こうもりに「朝焼け野郎は苦手だ。闇が全て」と睨まれた。

夜の海に行けば、くらげが「朝焼けも夕焼けも素敵よね」と言ったまま、ぷかぷかどこかへ。

夜の砂漠に行けば、らくだがふふふと笑って「朝焼けより雨雲と会いたいわ」と。

夜の宇宙に行けば、「私の照らす方向にいるわ」と星々が皆それぞれ別の方向を指した。

僕らは歩いた。ひたすらに、ただひたすらに。

どこを探しても、朝焼けには出会えない。次第に夕焼けはしょんぼりして涙をぽろぽろ流すものだから、僕も悲しくなって涙がぽろぽろ出てくる。

最初から分かっている。どこを探したって、夕焼け、君は朝焼けに出会うことはできないんだよ。どんなに歩いてもどんなに頑張っても無理なことはある。思い切って「諦めよう」と言いたい。やはり言えない。なぜなら夕焼けが朝焼けに会いたい気持ちが分かるから。僕もどんなに頑張ってももう会えない大切な大切な人が天国にいるから。

僕は夕焼けに無言でハンカチを渡し、「さあ、また一緒に探そう」とだけ言った。

夕焼けとともに何時間歩き続けたことだろう。僕たちの様子をずっと見てきた月が優しく声をかけた。「大丈夫。無理に探さなくても、大丈夫。いつか会えるから。待てば良い。今、この今のつながりを大切に過ごしていれば、朝焼けの方から会いにきてくれるから。会うその日に一番素敵な自分を見せられるようにしないかい」。

夜が白々と明け始め、月は静かにいなくなり、夕焼けも自然と僕の隣から姿を消した。

今日も朝焼けが、世界を優しくまあるく包み込む。

朝焼けの歌が確かに聞こえる。希望の歌だ。僕の心にしゅわっと溶ける。

「夕焼けよ。君も聞いているだろう。ありがとう。君は僕に教えてくれた。大切なのは今だ」

やま

こんな夢を見た。入った喫茶店にはダイアル式の電話があって、カウンターや腰掛けの木のツヤが美しい。座る人々は上品でさり気なく着飾っていた。どうも自分は場違いだと思ったら、ハイキングから帰ってきたような格好をしている。そのことに気づいたらいたたまれず、席につく気がなくなってしまった。

 幸い誰もこっちを気にしなかった。客はみな女で、秘めた思いを打ち明けるように慎み深い調子で話しこんでいた。女たちのささやき声は胸に心地よく響いたから、しばらく壁に寄りかかって聞いていようと思った。

 どこかの女は悲しんでいた。どこかの女はほのかな恋心を抱いていた。どこかの女に幸福があった。どこかの女は期待と憂慮を抱えていた。どの女も何か語っていた。

 伏し目がちで。

 銀色のさじで静かに紅茶を混ぜながら。

 指先を重ね合わせて。

 思い思いのポーズで語る女たちはひとりとして脇役ではなかった。誰かの姿を切り抜いてシアターで上映すれば誰もが優秀な女優だと思うことだろう。それが全員に当てはまったのだ。

 彼女たちの磨かれた口元は控えめに動き続ける。そろそろ店を後にしようかと思ったとき、はたと誰も相づちをうたないことに気づいた。彼女たちは二人一組か、四人一組で席についていて、それぞれに話し込んでいるのだが、話を聞いているそぶりがないのである。見れば話している女の顔を見ている女はいない。話し始めに脈絡もなければ前置きもない。とても控えめな口調で話し始めるので、それがまるで相づちのように聞こえているだけの話だった。女たちは話の息継ぎがてら、窓の外を憂うように眺めていたり、細やかな仕草で宝飾品を見つめていたりした。それが話を聞いているかのように見えるのだ。

 あの女の悲しみも、あの女の恋心も、あの女の、あの女の、あの女の・・・・・・。あの女たちは誰も聞いていなかったのだ。

 振りかえると全員と目が合った。横を向いていた女たちがしっかと両目をこちらに向けて瞬きもせずに見つめていた。自分が口を開きかけてやめるのがわかった。すると女たちは何の未練もなくすいと顔を背けた。

 外に出ると雪深い真冬になっていて、しんしんと降り積もる雪の間から、小綺麗な女たちがランプに照らされるのが見えた。

白原 すみ

 こんな夢を見た。

 私は小学生くらいの男の子で、私の住む町には「渡ってはいけない踏切」があった。

 なぜ渡ってはいけないのか、理由は誰も教えてくれなかったが、そういうものだと納得していた。大人たちも踏切の向こう側へ行く時はいつも、わざわざ迂回して踏切を避けていた。

 その日は快晴の休日だった。私は一人で暇を持て余していた。私は誘われるように外へ出た。

 空はグラデーションも雲もない、見事な青色だった。照りつける太陽にアスファルトのグレーが映え、そこに落ちる私の影も鮮やかだった。

 空気そのものが輝いているかのような眩しい日だったのに、不思議と暑くはなかった。

 足に任せて歩くうち、あの踏切に行き着いた。周囲には誰もいない。私は静まり返った踏切を渡った。不安も抵抗も、後ろめたさもなかった。あったのはかすかな好奇心だけ。

 踏切の向こうは、線路の手前から見たままの町だった。私は少しがっかりした。でも、せっかく来たのだから、と初めての町を散策してみた。

 ほどなく、私はどこにも人影が見当たらないことに気づいた。目に入るのは茶色のアパート群、灰色の遊歩道、緑の葉をつけた街路樹。人どころか、猫一匹、虫一匹すらいない。

 耳を澄ませても、聞こえるのはわずかな風の音だけ。

 急に怖くなってきて、私は来た道を駆け戻った。踏切に辿り着くと、私は上がったままの遮断機の先へ踏み入ろうとした。でも、できなかった。

 踏切と道路の間には透明な壁のようなものがあって、私はそれに跳ね返された。幸い痛みはなかった。驚いた私は壁に手を触れた。

 そのまま隙間や切れ目を探して、壁を調べてみた。壁は地面からはるか上まで伸びており、横へも果てしなく続いているようだった。

 私は静寂の中で途方に暮れた。助けの求めようもなく突っ立っていると、不意に後ろから声がかかった。

「あの踏切を渡ってきたの?」

 振り返ると、私と同じ年頃の少年が笑顔で立っていた。私が口を開く前に、少年は言った。

「それなら、もう帰れないよ」

「本当に? 帰れる日は来ないの?」

 縋るように私は訊いた。歌うように少年は答えた。

「今日と全く同じ日が来たら、帰れるよ。月も日にちも同じ日。天気も町の人たちの動きも、風の吹き方も同じ日。雲の流れまで同じ日!」

 同じ日なんか来ない。そんなこと、子供の私も知っていた。帰れない。私は絶望で満たされていくのを感じた。

 そこで目が覚めた。

 十年経ってその夢を思い出してみた時、私は妙なことに気づいた。踏切を越えたところでなぜか、視点が閉ざされた町にいた少年のものに切り替わってしまうのだ。

 視点の変わった私はあの少年で、私の住む街には生き物がほとんどいなかった。あの踏切を越えてきたものしかいないのだ。

 その町では、何も食べずとも平気だったし、時間の感覚も曖昧だった。不思議なことは他にもあったが、じきに慣れていった。

 それでも、寂しさだけは消えなかった。起きている間はいつも人恋しくて仕方なかった。

 だから、自分と同じくらいの男の子がこちら側へ来た時は嬉しかった。陰からこっそり様子を窺い、自分の時と同じように透明な壁に気づいたところを見計らって、声をかけた。

 同じ日は来ない。それは私にとって得たばかりの理解だった。だから帰れる日は来ないと伝えるために、言葉の限りを尽くして来るはずのない日を表現した。

「雲の流れまで同じ日!」

 言いながら私は、幸福で満たされていくのを感じた。

桜田弥生

 こんな夢を見た。

 透明な電車に、次々と人が乗り込んでくる。あっという間に満員になった。

 カタンコトン、カタンコトン。

 ミジンコのような私達は、菜の花畑をゆっくり走る。

 山肌には紅葉のグラデーションが広がっているが、向こうの方では雪も降っているようだ。車窓からの四季折々を眺めていると、空に一筋の光が射し、神様がそろりと片足から降りてきた。

「大きい」

 それが、神様を見た第一印象だ。次の瞬間、彼が薄化粧をしているのが分かった。美しくパーマをかけられた髪先。ネイルもペディキュアまで、神経が行き届いている。この外出は相当な気合いの入れようだ。

 神様が透明な電車の前に立った瞬間、電車は止まり、バニラオイルを湯煎にかけた時のような匂いが車内に充満した。全員が

「あ」

と思った時、神様が電車にレジン液を流し込んだ。

 照りつける太陽の紫外線を浴び、どんどんレジンが固まっていく。神様がアクセサリー作りをしているのだと悟った私達は、彼に気に入られようと、必死になった。

 さっきまで女子高生のスカートの中に手を入れていたサラリーマンは何事もなかったかのようにカフスを触る。

 包丁を手に忍ばせていた男性は買ったばかりの茶色い紙袋にそっとしまい、額を拭う。

 妊婦はお腹に優しく手を当て、子守歌を歌っている。私はそれに合わせて、持っていたギターで静かにキラキラ星を伴奏した。

 子どもは変顔をしたり面白いポーズをとったり。それを見たお年寄りは、顔の皺をさらにしわくちゃにして、笑った。

 煌めく世界に、神様は大満足。そのまま、ペンダントにチェーンを付け、首からかけてみた。

「うん、パーフェクト」

 そんなにおしゃれして、今から神様はどこに行くのだろう。

小南 泰葉

「こんな夢を見た。」

 声が聞こえて目を開くと、斜め前の瀬尾さんが教科書を朗読していた。

 グラウンドから微かに聞こえる体操のカウントをBGMにして、瀬尾さんはすらすらと教科書を読んでいく。

 教室には、五限目特有のまどろんだ空気が充満していた。いつもは騒がしい運動部の連中は、おでこと机を完全にくっつけて、寝息を立てていた。あのまじめな小田君でさえペンを握ったまま頭を垂れていた。

 そういう僕も、今の今まで意識を手放していたようで、黒板を写していたはずのノートには、無数のダイイングメッセージが散らばっていた。書き直そうと消しゴムをノートに押し当てて、やめた。

 今日くらいは、ノートを必死にとらなくてもいいように思えたからだ。

 僕はノートを閉じ、瀬尾さんの声に合わせて、教科書の文字を追うことに専念した。

 瀬尾さんの声をちゃんと聞くのは初めてだった。

 その声は、まるで僕だけに語り掛けるように、すぐ耳元で響いていた。

「あなた、待っていられますか」

 気づくと、また目をつぶっていた。これではいけない、と思い、やはり板書を再開することにした。もう一度ノートを開き、黒板の方に目を向ける。

 すると黒板の前で、先生が腕を組み、口を大きく開いたまま眠りこけているのが見えた。思わず吹き出しそうになったが、なんとかこらえた。先生が居眠りするなんて聞いたことがない。あまりのことに、僕は誰かに目配せをしたくなって教室を見渡した。

 しかし、誰とも目は合わなかった。

 教室には、もう誰もいなかった。

 運動部の連中も、真面目な小田君も、先生さえも、みんな初めからいなかったかのように消えていた。

 それどころか椅子も机も、教室さえもなくなっていた。

 再び瀬尾さんの声が聞こえてきた。

 何も変わらない、ゆったりとした声はどこかで聞いたことがある気がした。

 僕は、瀬尾さん、と声をかける。

 すると彼女はやっと読むのをやめ、黒い髪を揺らして振り返った。

 百合の香りがした。

 僕は、やっと目を覚ました。

マルヤマ レイ

 こんな夢を見た。

 ある朝、目覚めると、僕の肌は鮫肌になっていた。それは、大根一本でも楽々と下ろせそうな立派な鮫肌で、僕は一日の始まりから喜びに浸ることができた。

 みんなに自慢しなければ。

 そんな使命感に駆られた僕は、急いでパジャマを脱いだ。するとその鮫肌は本領を発揮して、薄い布切れを、あっという間に引き裂いてしまった。学習した僕は、ナマケモノのようにズボンを履き、繊細な羽衣を扱うようにTシャツを着た。

 家から出ると、ソフトクリーム型の雲が浮かぶ、素敵な夏空が頭上に広がっていた。浮き浮きした僕はスキップしながら通りを歩いた。道行く人の誰もが、羨ましげに僕を見ていて、あるお姉さんはウインクをしてきた。

 どこからか、美味しそうな匂いが漂ってきた。匂いにふらふらと引き寄せられるようにして、一軒のパン屋へと僕は足を踏み入れた。

「いらっしゃいませ。焼き立てのパンはいかがですか」

 可憐な声で店員の女の子が言った。お店には先客が十人ほどいた。

 まだほのかに湯気の立つバゲットを買うために、僕はレジへと続く行列に並んだ。ゆっくりと列が進み、やっと僕の前のおばあさんが買う段になると、おばあさんが言った。

「あらやだ、あたしったら財布を忘れてしまったみたいなの。せっかく並んだのにどうしましょう」

 悲しげな様子のおばあさんに、困った表情を浮かべるレジの女の子と僕は目が合った。すると、僕のことを見たレジの女の子が、今度は驚いた顔になった。

 うっかりしていた。きっと彼女は、この鮫肌の魅力に気づいてしまったのだろう。どぎまぎする僕をよそに、女の子は店の奥へと声を張り上げた。

「店長、大変です!鮫肌男がいます!」

 しばらくすると、どたどたと足音を立てながら、丸々と太った店長が物凄いスピードで走り出てきた。右手には、何故か古いフランスパンが握られていた。

「おお、これは本当に立派な鮫肌だ。どれ、一つ削らせて頂こう」

 店長が僕の腕に硬いフランスパンを押しつけると、それは面白いように削れていった。

「旨そうな削り立てのパン粉だ。これでカレーパンを作ろうではないか」

 店長は嬉しそうな声を出した。一体どうやって逃げようかと僕が思案していると、

「私、別れませんから」

 背後から急に声がした。ぎょっと僕が振り返ると、そこには奈津子が立っていた。

「あなたが別れたくても、絶対に別れませんから」

 奈津子の手には、離婚届が握られていた。

「こんなもの、こうしてやる!」

 僕の肌に触れた薄い紙は、あっという間に裁断されてしまった。

 ふと気がつくと、店の中にも、窓の向こうに見える店の外にも、僕の鮫肌を狙う大勢の人々が待ち構えていた。恐怖に駆られた僕は、慌ててパン屋を飛び出した。

 夢中で走る僕に向かって、人々はあらゆる物を差し出した。少年は蝉の脱け殻を粉々にし、お姉さんは別れた恋人から贈られたブレスレットを切り裂き、歌うたいは挫折した夢の結晶であるギターをずたずたにした。僕はいまや、泣きそうだった。

 どうしてこんな目に合わなければいけないのだろう。

 そう思いながら鉄塔をよじ登った。てっぺんまで辿り着いて、下を見下ろすと、人々がうじゃうじゃと蟻のように蠢いているのが見えた。そのとき僕は、はたと気がついた。

 これはきっと、悪い夢に違いない。現実に戻れば、平穏な日常が回復するだろう。

 目を覚ます為に、僕は、ぎゅっと目をつむった。

 ある朝、目覚めると僕は……

田中トラ

 こんな夢を見た。

 知らない人の誕生日会にいるの。

 テーブルには大きなバースデーケーキとたくさんのごちそう。

 でも、私は誰も知らない。

 私は隣りの席の男の子に聞いてみた。

「これは誰の誕生日なの?」

「知らないよ」

「知らないのに祝っているの?」

「そうだよ、おかしいかい?」

「おかしいわ。どうしてそんなことをするの?」

「だって今日は特別な日だよ」

「どんな日なの?」

「地球最後の日さ」

 男の子はそう言うと、部屋を出ていってしまった。

 私は彼を追いかける。

 廊下の途中で、近所のエマがアイスクリームを食べていた。

「エマ、何をしているの?」

「アイスクリームを食べているのよ」

「また、むし歯になるわよ」

「気にしないわ、だって今日は地球最後の日よ」

 エマがアイスクリームを全部食べてしまうと、庭の方から歌声がした。

 行ってみるとエマの叔父さんが大きな声で歌っていた。

「ねぇエマの叔父さん、歌は苦手じゃなかったの?」

「苦手だよ。でも嫌いじゃないさ」

「苦手なら、恥ずかしくないの?」

「気にならないね、だって今日は地球最後の日だもの」

 私はエマの叔父さんの歌をしばらく聞いた。

 すると、大通りを走るランナーを見つけた。

 私はランナーを追いかけて聞いてみた。

「ねぇ、どうして走っているの?」

「これは日課さ。毎日走っているよ」

「今日は地球最後の日よ。もっと特別なことをしないの?」

「特別なことって、どんなことだい?」

「そうね、今まで禁止していたお菓子を食べるとか、恥ずかしくてできなかった遊びをするとか」

「それじゃあ僕にとって、走ることこそ特別だね。地球最後の日に、こんなにも走りたいのだから」

 ランナーはグンッと走る速度を上げた。

 いつの間にか、私はまた誕生日会の家の前にいた。

 最初に話した男の子が、扉から出てくると言った。

「やぁ、君は見つけたかい?」

「見つけたって、何を?」

「地球最後の日にすることさ」

 次の瞬間、男の子も家もエマの叔父さんの歌声も、みんな霧のように消えて無くなってしまった。

 目覚めると私はいつものベッドの上だった。

サイドテーブに置いたグラスの水を飲み干す。

そして、階段を降り一階のキッチンへグラスを戻しに行った。

テーブルにママが用意してくれたシリアルがあったけれど、今日はいらない。シリアルって気分じゃないの。

私はサラのクローゼットからブルーのセーターを出して袖を通した。

まだ少し大きいけれど、とっても私に似合っている。

お気に入りの茶色いブーツを履き、家を出る。

コートのポケットに手を入れると、いつかのコインが指先に触れた。

サムの店でコーンブレッドを買おう。

いくらか知らないけれど、コインが足りなければ買わないだけ。

私の名前はメアリー。空を見る。真っ青な空。

サラのセーターよりずっと青い。

飛行機がこっちに向かって低空飛行していた。

きっとうるさいから耳を塞ぐ。

髪の毛がぐっしゃっとなって、きっと変な姿ね。

でも気にしない。誰がそれを見て笑ったっていいわ。

特別な日に、気にするもんですか。

私はわたし。

今日が地球最後の日かもしれないし、そうじゃないかもしれない。

でも誰かにとって、今日は地球最後の日なの。

どこかで地球最後の日を迎える人が必ずいる。

毎日、新しい命が生まれるようにね。

だから私は知らない人の誕生日だって祝いたい。

私は耳から手を離す。

飛行機の音は止んでいて、遠くからバースデーソングが聞こえた。

あんのくるみ

 こんな夢を見た。

「ペンギン。ペンギンの悪い噂。

......ペンギンの悪い噂を聞いたの」と妻が言う。

 わたしに話しかけているわたし。

そのわたしを妻だと認識しているということは

どうやらわたしは夫としてそこにいるようだ。

「ペンギン。ペンギンがね」

 妻であるわたしはわたしに話しかけている。

 ペンギンの悪い噂。

ペンギンが大事なものを奪っていくという噂。

それを奪われた人たちはいっとき穏やかにしているが

だんだんと気の抜けたように

ぼんやりと空を見上げるばかりになったり――

「違う違う」

 一瞬ののちわたしはペンギンになっている。

「そういうことじゃないんだな」 とペンギンであるわたしは言う。

「私たちペンギンは君たちの悲しい話をいただくだけだ」

 悲しい話? とペンギンじゃない方のわたしは考える。

 わたしはペンギンでもあるのでペンギンの言いたいことはわかる。

 人間の悲しい話は氷を固くする。

そのことに誰かが気づいた。

わたしたちペンギンの氷が溶け始めて間もない頃だった。

 わたしたちはせっせと人間の悲しい話を集めては

しゃりしゃりと穴を掘り

持ち帰った言葉や物語を――時には歌を穴に投げ入れてきた。

「君の話を聴こうか」

 ペンギンが言う。

 悲しい話。わたしの。

「わたしの?」

 もちろん話すべきことは決まっている。

 わたしの。悲しい話。

 遠くで汽笛の音が鳴っている。

 顔を上げ南極へ帰る船を探すがそこはいつものリビングで

わたしはうたた寝から少しずつ現実に帰ってくる。

 珈琲の香りが漂ってきて

わたしはようやく夢を夢だと気づく。

 夢だと気づいて慌てて記憶を探る。

 悲しい話。わたしの悲しい話はちゃんとわたしの中にある。

 その人はわたしの中にいる。

 珈琲を手で包む。熱がゆっくりわたしに移る。

その苦味はわたしの顔を歪めてくれる。

 窓を開けると少し冷たくなり始めた秋の風が

わたしの形だけ残して部屋へ入ってくる。

 固く澄んだ空気のずっと向こうにほんのわずか海が見える。

 わたしは祈る。

 南極の氷が溶けてしまいませんように。

 ペンギンたちが穏やかに暮らせますように。

 

わたしの悲しみがわたしだけのものでありますように。

うえだけいすけ

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